今夜、咲良の木の下で 205回目 卒業発表について

さて、あらためてお話したいと思いますが、私、宮脇咲良はHKT48のニューシングル「君とどこかへ行きたい」ニコ生の配信でHKT48の卒業を発表させていただきました。


この時のことは、、、なんだろうなあ、すっごく緊張しましたね。なんか色々同期だったり、先輩方が、卒業発表をしているのを、間近で見てきて、どういうときに卒業発表するんだろうなとか、なんて言って卒業発表するんだろうなとか、考えるんですよね。やっぱり。特に同期の卒業発表をみていると、卒業って寂しいですよ。やっぱり。

ファンの皆さんもそうだと思いますけど、いちばん私がいちばん寂しいというか、なんだろう、、、やっぱり、どこかに所属しているという、安心感ってあって、「HKT48の宮脇咲良です」っていえるのって、自分の帰る場所があって、自分の心の支えになるから、「宮脇咲良です」の前に所属名が言えるのって大きくて、「こんにちは宮脇咲良です」だけいうのと、「あなたは何処の誰なの?」本当に一人で戦わないといけない感じがして、HKT48の卒業を自分からいうのが、すっごく思い出がありすぎて、寂しかったです。


ここで言わなければ、一生いられるんじゃないのてくらいみたいな感じはあったぐらい、いざ言うとなると、この日までに、いろんなことを考えて決めたことだから、気持ちの整理は出来てると思っていたんですけど、いざやるとなると、「寂しい」というのが、一番大きかったかなぁと思いますね。


改めてなぜ卒業を決意したか、いつ頃卒業を意識したかというと、んーーー、いつなんだろう。でも卒業を意識するのは正直、48にいる時からずっと、だったかなと思います。特に、先輩方もおっしゃっていたと思うんですけど、「48というのは夢を見つける場所だ」というのを、よく言ってくださっていて、その芸能界に入るのがHKT48が初めて、48が初めてというのがほとんどじゃないですか。子役やってたというのもあるかもしれないけど、芸能界のデビューがHKT48だからみんな、その後を何をするか、48でいろんなことをやらせていただけるので、女優だったり、バラエティーだったり、もういろんなことをやらせていただけるから、夢を見つける場所だというのを先輩方が教えてくれて、なので私は常にHKTにいる間から「じゃあ、私が一人になったら何ができるの?」「HKT48卒業したら何ができるんだろう?」不安でもありつつ、それを探しながらずっと探しながら活動していたので、意識をしていたのはずっとだと思います。まあ、これはメンバーもみんなそうなんじゃないかなとは思いますね。

アイドルって一生できたら嬉しいんですけど、現状だと40、50とかで出来るものではないから、、、まあ人によるし、ケースも違うので決めつけできないんですけど、そういうものだから、やっぱり48にいつつ、夢を探したいというということで、卒業は常に意識していたのかなと思いますね。


決意したのはまた違いますね。ん-でも2年半、私が離れていて、外からHKT48を見て、私が出てないコンサートとかも、実際に見に行ったし、メンバー達の活動も思ったよりちゃんと見てたんですよ。たぶんニコ生見てた方はわかると思うんですけど、全部しってて、HKT48がどういう活動をしているかチェックしていたんですけど、んーそういうのを見てて、センターにみくりんとか、なっぴとか、はなちゃんが立っている姿をみて、みんなの成長を感じて、2年半HKT48を盛り上げてくれた後輩たちをみて、HKT48は次のステージに進んでいるなと思ったし、ここでまた戻って、私が2年半いなかった分、みんなが頑張ってくれていたのに、でしゃばりじゃないですけど(声のトーン下げる)前に立つのってどうなんだろう。というのも考えたんですよね。やっぱり、この2年半、HKTを支えてきたのはHKTのメンバーなので、2年半いなかったのに、急に、真ん中とか目立つ場所に立っていいのかという葛藤だったりあったりして、まあ、自分の中でも、挑戦してみたいこと、もっと頑張ってみたいことが見つかったので、それを見つけたりとか、HKTのメンバーの成長をみたときに卒業を決意したんじゃないかなと思います。

(中略)

さっしーからのお手紙をもらったんですよ。本当に知らなかったんですけど、卒業発表の時に私、もりぽ(森保まどかさん)に聞いたんですよ。卒業発表経験者として、先輩なんで「もりぽ、卒業発表のときどうだった?緊張した?」「(森保さん)いや?緊張したけどどうだろう」「泣きそうになった?泣いた?泣いた?」「いや、泣かないよ。泣かないよ。卒業発表で気持ちがいっぱいいっぱいになって、とりあえず無事に終わらせなきゃ。卒業発表をってなるから泣かないよ。」って言ってたんですよ。したら村重がなんか横で「いや!絶対に泣く」て言って来て、私は「何で?」って思って。卒業コンサートじゃないじゃないですか。卒業発表だから。なんでそんなに自信満々に「咲良は泣くね」って言ってくるんだろうと不思議に思ってたら、さっしーからのお手紙があって(笑)村重が読んでくれたんですけど。しかも、その前からあたしとさっしーと村重のグループラインでさっしーが(ニコ生の)一番最初の研究生の5期生のところから見てたんですよ。本当にスタートからみてて、実況してくれてグループラインから見てたんですけど、○○ちゃん可愛いとか○○ちゃん面白いとかみてくれてて、そして「咲良卒業発表頑張ってきてね」みたいな、ぜんぜんただ見てるんだなと思ってたんですよ。見守ってくれていてありがたいなと思ったらまさかのお手紙で、、、不意を突かれましたね。

でも、、、流石だなって、、、さっしーが偉大過ぎるのが、マネージャーさんからさっしーにお願いしたではなく、さっしーが急にマネージャーさんにこのお手紙を送ってきて、読んであげてほしい、見てみてと言ってくれたみたいで、私もそれ聞いて、、、もう、、、どこまでも凄い人だなって思って。私本当に泣くつもりはなかったんですけど、やっぱり、私が泣いたらダメだなって、しっかり卒業発表で意志だったり、気持ちを伝えないといけないと思ったので、ちゃんと伝えようという意味で、気も張っていたのもあるし、泣かないようにしようとしたんですけど、さっしーからのメッセージはやばかったですね。プレイヤーだからわかる気持ちを、さっしーが言ってくれた。正直言えないことがほとんどで、本当にずっと救ってくれるなって思いました。

本当に私、一年に一回、お金を振り込まなければいけないくらい救われてます(笑)お金で恩が返せるかというとそうじゃないんですけど、それぐらい!今回だけじゃなくまあ、2年半活動しているときも、もちろん辛いときとかも、悩むことあったんですけど、この10年間そうでしたね。HKTいる時からIZ*ONEいる時から、なんか本当に全部救ってもらっているんですよね。私が大変な時とか辛い時。私って言わないのであんまり。でもそれをさっしーがそばで見てて、気づいてくれる、しかもそれを、素敵な言葉で守ってくれるというか、プレイヤーならではの視点で言ってくれるのが本当に、助けられてるなと思いましたし。私も基本やっぱり正直、さっしーをみて学んだことを、今やってるだけなんですよ。だけどまた学ばせてもらって、卒業しても、こうしてHKTに関わることだってもちろんできるし、HKTメンバーだったことは卒業メンバーそうですが、一生の仲間なので、私自身も卒業してもこうやって、メンバーを支えたりとか携わったりしたいなって思いましたね。活動はしないけど、HKTとしてのHKTファミリーであることは一生なくならないので、私もさっしーを見習って、生きていきたいと思いました。

村重もそうなんですよ。村重も救ってもらいました。一か月もいてくれてありがとうだよね。しんみりとした卒業発表後の雰囲気って何とも言えないあの雰囲気を村重の一言で、すごく明るく変えてくれて、村重にはいっつも支えられてるなって思ったし。私は本当に素敵な仲間に、HKT48になって出会えたなって、こんな仲間に人生で出会えることに本当に有難いことなので、一生の宝物だなと思いましたね。本当にメンバーだったり感謝の気持ちでいっぱいですし、救ってくれてありがたいというか、ありがたいと思いますね。

※さくのきブログは204回とまとめられています

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